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クールダウン  |
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完結 |
一度、処分の決断をした経験は、蓄積されます。
次に同じものを手にした時に迷わないし、また買おうと思った時にブレーキになります。
特に、迷いに迷って断腸の思いで処分したモノは、今度はそうしないようにするゾ!と思えます。
モノが家中にたまっているということは、モノと最後までつきあっていないということです。
モノは人間の暮らしに役立つためにある。
使い切るか世に出すかして、はじめてそのモノとのおつきあいが完結するのです。
役に立たずに、たまっているだけものは、完結していないのです。
お片づけは、自分の「モノとのつき合い方」を確立する作業です。 |
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通過儀礼 |
モノを処分する時に、障害になる心の動きはなんでしょうか?
「私はモノを粗末にする人間だ」または、「・・と他人に思われる」
そうですか?ある時のモノの処分をきっかけに、なんでもぽいぽいと捨てて平気な人間になるーなんてことがあるでしょうか?
なによりも、そんなにころりと変われるのなら、悩むまでもなく、家の中の不要品は一掃されているはずです!
むしろ、「ああ、こんなに使えるものを捨ててしまった・・」と懺悔するくらい、心が痛んだ方が、
不用意にモノを増やすことはしなくなると思うのです。
周りの評価もそうです。
思い切って洋服をゴミ袋に詰めて、ゴミステーションにもって行く、
その途中で、近所のおじいちゃんに会っちゃった〜〜なんて間の悪いハナシでもない限り、
世間はあなたの家の燃えるゴミの中身にまで気を配ることはありません。
お友達の評価にしても「あそこは、いつも片付いているわね」と思いながら、心の中で
「きっとぽいぽい何でも捨ててるのね」と思うでしょうか?
同じく「なんだか、モノがごちゃごちゃあるわね」との言葉に続けて
「きっと、モノを大事にする方なのね」と言われて、うれしいですか?ちょっと皮肉にうけとっちゃいそうですよねー
2005年現在、モノがあふれているのでしたら、一度は大処分を実行しないと
「厳選したモノにだけ囲まれ、スッキリ暮らす我が家」
は実現しません。
「まだまだ使えるものを、断腸の思いで処分する」
これがお片づけマスターへの通過儀礼なのです。 |
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ごみの家賃 |
昭和のモノのない時代には、「生活が苦しい」ひとは、モノを捨てられませんでした。
壊れても修繕して使っていました。だって、新しく買えないもの。
なので、粗大ゴミ置き場から拾ってきたり、使わなくなってもしまっておいたりします。
それが「暮らす知恵」でした。
ところが!
今や「びんぼー人はモノをためられない」時代なのです。以前は税金で賄っていた「ゴミ処理費用」を、住民が負担する時代。
産業廃棄物はもとより、一般家庭のごみも「有料」の時代なのです。
私の住む札幌市では、大型ゴミは有料(シールを買って貼る)地方の小さい自治体では、もえるゴミまで有料の袋で出します。
私のサイトのお遊びで「ごみの家賃」という標語を載せたりしましたが、ゴミ・がらくたを置いているスペースにも、
私たちは家賃を払っています。家のローンにも含まれていますよ!
ごみに家賃をかけて、住んでいる人間が息苦しい思いをしているなんて・・・ねえ。
一度、不要品の占めているスペースをお金に換算してみるのをオススメします。
ぽぽいは一度、古新聞でやってみたことがあります。月に一度の回収日に出しそびれると、どうなのか・・・
おお、おいしいコ−ヒーが飲めちゃうぞ〜〜 |
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伝える |
自分は「処分大敢行!!」の気運が高まってるのに、周囲の反対で挫折するケースがあります。
そこまでの決心のついていない夫、「モノを大切にしなさい」と教えているので、
捨てることを強要できない子供たち、そして「もったいない」世代の両親、義父母。
ご両親と同居の場合は、特にモノの処分は不可能に近い。
捨てれば拾ってくるし、使わないと思ってたのに「あれ、ないの?」と突然きいてくるし、
「モノを粗末にするヨメ」と小言を言うし・・・
そして、これらの「お片づけ当事者ではないけど、口をはさむ人達」こそ、同時に
「家の中がちっとも片付いていない」と主婦を責めたりするのですよねえ。
誰のせいなのよお〜〜!!!
オットと子供は、なんとかなります。妻(母)の気分は伝染するからです。
気持ちよさがわかれば、協力してくれるし、片付いている空間は、散らかしにくいものなのですよ。
「モノを大切にする」ということは「死蔵する」ことではないことを伝えましょう。
・・モンダイは・・・昭和一ケタまでの世代対策です。
うんとさかのぼって、明治の生まれの皆さんは、逆に少ないモノできっちり暮らす術が身についてらっしゃいます。
日本座敷のすがすがしさ・空間の大切さを教えられることが多いです。
両親の世代は、それを肌身で知っているはずなんですよね。
モノのない辛さから、モノをためてはいるけれど、ふと自分の親の世代の凛とした暮らし方を、
思い出していただくことは可能だと思うのです。
また、人生の後半にさしかかった方々でもありますから、口にはしないけれど
「身の回りの始末」にも思いが至っているかもしれません。
残った者に迷惑をかけず、見事に最期を迎えようと心がけている方、また実際そうして最期を迎えた方、
そんな話題を載せている雑誌もみかけます。
立場上、面と向かって言えないことでしょうけれど、そんな情報をさりげなく伝えることからスタートしましょう。
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